今あるものに感謝しなきゃ論

「あれがしたい」

「これがあったらいいのに」

今の生活をより豊かにするためにこう思うことはよくあることだ。

 

しかし、これに対して

「今あるものに感謝しないなんて罰当たり」

「与えらえたものに満足できないなら、いつまでも幸せにはなれない」

と言ってくる輩がたまにいる。

 

 戦争もなく平和な日々を享受できること。飢えを知らずに生きられること。自由を謳歌できること。これらは先人の努力あって、今の私たちが当たり前のように与えられている幸福なのかもしれない。しかし、よりよい生活を得るために「もっとこうしたい」「あれがあればいいのに」と渇望することは不幸の始まりなのだろうか。

 むしろ、こうした欲求や希望が連綿と続いてきたからこそ、私たちはその当たり前の幸せを授かったのだと私は思う。

 

 逆にこうした欲求を抑えて、ただ現状に満足し何も要求しない社会になったらどうなるだろうか。

 

 今では当たり前になっているスマホタブレットもなく、Youtubeなどの動画サイトや今あなたが読んでいる他の人のブログなども存在しなかっただろう。食洗器や洗濯機といった家事をすべて手作業で行い、家事に追われる毎日だっただろう。選挙権もなく、貴族や華族など上流階級だけが政治に関わり、一般市民は自分たちの思想や生活を全て他人に支配されていただろう。

 

 今手の中にあるものに感謝する。この精神自身は確かに素晴らしい。先人たちが切り開いて当たり前に変えてくれた幸せは大切なものだ。

 そして今の私たちも、未来の子供たちや子孫たちに当たり前の幸せを与えてあげる為に、私たちは生活や社会をより良いものにアップグレードしていくべきではないだろうか。

 

 その源泉は、私たちの日々の生活の

「もっとこうなればいいのに」

「あれがあったらいいのに」

といった欲求の中に潜んでいる。

 

 最近の私のもっぱらの関心事は政府が掲げる「異次元の少子化対策」だ。1年に生まれる子どもの数が80万人を下回り、42年連続出生数現象という未曽有の危機に日本はさらされているが、果たして本当にこの状況を打開できるほどの少子化対策がなされるのだろうか。まだ未就学児の私の子供たちが大人になるころ、日本は私が生きてきた頃より良い国になっているだろうか。

 いや、日本がより良い国になるように、私もまた日々生活を豊かにするためにもがくとしよう。