言語化することの重要性

 漠然とした不安。漠然とした目標。よく分からないけど何となく思う事。人の思考には言語化できることと、言語化できないことがある。

 言語化できない事象を人は正しく認識できない。幽霊やUFOなどに漠然と不安を抱くように、正しく認識できないという状態は心をざわつかせる。

 

 例えばテストの範囲が分からない時、どこからどこまで勉強すればいいかわからなく不安から投げ出してしまうこともあるだろう。もしくはストレスからがむしゃらにあちらこちらと手を出すこともあるだろう。

 もし、これがテスト範囲を正しく認識していれば、勉強する範囲を把握でき、学習計画などを立ててペース配分を考慮したりとストレスを減らすことができる。

 

 不安の対象を正しく認識することで、人はその対象を正しく評価することができ、対応することができるし回避することもできる。そしてその認識をするために言語は重要な役割を担っている。言語化することにより、対象の輪郭を鮮明にし、正しく認識することができる。

 

 考えている事全てを言語化できる人間は実はほとんどいない。かく言う私もこうしてブログに思うことを様々書いているが、言語化できていない思考もたくさんある。

 

 言葉にできない感情、表現しきれない喜びや悲しみ、正しく伝わらない思いや考え。小説や音楽、映画、アニメ、オペラ、劇などの読み聴きして、自分の感情に合う表現を模索し、ぴたりと当てはまった時、人はその作品に感激して涙を流すのかもしれない。言語化をするためには良質な情報や表現方法を摂取し、自分の血肉にする必要がある。その為に文芸作品や芸術に触れることが、自身の中にある不明瞭な不安を解消する一つの手段となる。

 

 言語化すること。そのためにインプットを増やして語彙を増やす。そして状況を言語化するアウトプットトレーニングを積む。それが不安の原因を正しく認識し、人生をより豊かにする。