ものすごい人に会った時、人の反応は3パターンに分かれる

 ものすごい人に会った。例えば非凡な才能を持つ人。前人未到の成果を成しえた人。実在する日本人で言えば、二刀流でメージャーリーグで活躍する大谷翔平選手。将棋界で事実は小説よりも奇なりを体現している藤井聡太六冠。もっと身近にするとしたら会社のエース社員、起業した知人友人、婚活に成功した人、自分の夢を着実に叶えている人。

 

 そんな人を見た時、人の反応は3つに分かれる。

 

 1つ目は、その人に憧れて目標にする。憧れの人に近づくために努力をしたり、自分を高めようとする。

 

 2つ目は、自分と全く異なる世界だと割り切る。娯楽として楽しむ。もしくは無関心。

 

 3つ目は、その人を貶す。粗探しをしたり引きずり下ろそうとする。

 

 自己と他者を比較する行為は、刺激にもなり、娯楽にもなり、時に劣等感に苛まれる。憧れていて、近づきたくて努力していたはずなのに、いつまでも近づかない自分に苛立ち、そのうち「あんな奴、別にすごくもなんともない」と酸っぱい葡萄だと喚き散らすキツネになることもある。

 しかし他人を引きずり下ろしたところで、自分の立ち位置は変わらない。相対的には自己と他者が近づく様な気持ちになるかもしれないが、根本的解決には至らない。比較対象の他者が自然と目につかなくなるまで、その場しのぎとしては有用かもしれないが。

 

 劣等感を抱くという事は、それだけなりたい自分がいるということの表れでもある。もし自分がものすごい人に会って劣等感を抱いた時、実はその時こそが、本当になりたい自分を見つめなおす良い機会なのかもしれない。