役割分担

 子育てをしていると、夕方は戦争である。

 仕事が終わると同時に保育園に駆け込みお迎え。大人の足ではほんの数分の距離だったとしても、子どもが一緒だと数十分かかるのはざら。問答無用で連れ帰るには、子ども達は大きく成長しすぎて物理的に不可能。どうせなら機嫌よく誘導して早急に家に帰りたくても、子どもの気分は未来よりも今この瞬間に全力である。

 子どもの全力に寄り添ってあげたい気持ちももちろんある。しかし、その後にある夕飯の支度や食事の時間、お風呂に歯磨きに寝かしつけを考えると、時間はどうしても限られてしまう。

 案の定、長男が夕飯を食べ終わったところでエネルギー切れを起こし一人では何もできなく泣き叫ぶことしかしなくなってしまった。

 母としては、「そんなに疲れるなら保育園で昼寝をしてくればいいのに」とか、「保育園の帰り道で段差の上り下りをしなければ良かったのに」とか、「早く夕飯を食べてお風呂に入ってしまえばよかったのに」とか色々思ってしまう。しかし、子ども自身はなによりも「今」に全力で、たとえ10分、1分後のことなど気にせずに全力を出し切るのだ。

 脱衣所まで来たはいいが、疲れて洋服が脱げない、立つこともできない、でも一人でお風呂に入るのは嫌だ、でも自分で体を洗いたい。やりたい気持ちと、できない身体のギャップがもどかしくて泣き叫ぶ。そんな泣き叫びを聞いて、母はますます苛立つ。だから早くお風呂に入れば良かったのに。自分でやりたいならやればいい。でもできないなら母がやるぞ。疲れてるのなら早くお風呂を出て寝る支度をすればいい。

 

 苛立つ母。泣き叫ぶ長男。

 

 そこに父がやってきた。

 泣き叫ぶ長男を膝に座らせ、長男の好きな番組の歌を交えながらパジャマを着せる。

「パジャマのまーえ、うしろ、まーえ、うしろ♪」

「お父さん、これ前と後ろ逆だよ~」

「あれ?間違えちゃった?どっちどっち~?」

 さっきまで泣き叫んでいた長男がぴたりと泣き止み、可笑しい可笑しいとクスクス笑う。さっきまでの殺伐とした空気が一瞬にして和らぐ。そうこうしているうちに髪をドライヤーで乾かし、歯磨きを終え、お風呂上りの水分補給を終え、寝室に連れて行った。

 その間、私は風呂上りに自分の身支度をし、父が長男を寝室に連れていくのを確認してから夕飯の皿洗いに取り掛かった。皿洗いが終わるころには父はリビングに戻ってきて、のんびりと一人時間を楽しんでいた。

 

 先ほどの長男の身支度のバトンタッチのお礼をし、長男の機嫌も上手く修正してくれたことへの尊敬の意を伝えると、父はなんてことないようにこう言った。

 

「ずっとあの不機嫌に付き合ってたらそりゃ対応する大人もイラつくよね。俺はあとからきた傍観者だったから、ちょっとボケかまして笑わせたりできるよ。でも逆の立場だったら、多分俺もイライラしちゃうから、まあ役割分断だよね。」

 

 なるほど、実にありがたい。と同時に、ワンオペで育児をしている人たちはこういった逃げ場がなくなってしまう辛さがあるのだな、と考えさせられた。

 「一人の子供を育てるのには一つの村がいる。」

アフリカの子育てにまつわる諺らしい。大人一人で子どもを育てるのは不可能だ。家庭内、地域、社会とより多くの大人の手を借りて、健全で豊かな子育てができる社会になることを願う。

 子どもがいる人も、子どもがいない人も、未来をにつながる社会を大切にしてほしい。