今だから話せる、私の「死んでも良かった」

特別お題「今だから話せること

 

 今だから話せること

 小中高生の自殺者数が過去最高という悲しいニュースを見た。

 そういう私も、若い時はいつ死んでもかまわないと本気で思っていた。

 悔いはない、というよりも未練がなかったのだ。流石に親は悲しむだろうな、とは思っていたが、その時その瞬間死んだとしても、死なずにあれをしたかっただとか、あの場所に行ってみたかっただとか、あの人に会いたかっただとか、死を後悔するほどの強い欲求がなかった。未来なんて薄ぼんやりとしていてどう転んでも別に構わないと思っていたし、家族や友人を含めても誰かを置いて死ぬなんてありえないと思えるほど大切な人も居なかった。

 それでも私はあの時置かれた状況なりの苦難や幸福を感受していたし、そのまま変わらずに人生を終えるものだと思っていた。毎年毎年同じような月日を漂い、一年があっという間に過ぎていくように五年、十年、五十年と歳を重ねてぼんやりと生きてそのうち死ぬと信じて疑わなかった。いつか死にたいなと思った時の為に、出来るだけ苦しまずに死ぬ方法を調べることもあった。でも結局老衰に勝る痛みの少ない死ぬ方法は見つけられなかった。

 

 人生がガラッと変わったのは子どもが産まれてからだ。

 

 自分の胎内で育み、生み出したなんとも小さくて可愛い庇護すべき存在。私にとって自分の子どもはそんな存在になった。こんなにも可愛い存在を世に生み出した自分は天才だと産後ハイが凄かったことも覚えている。産んで五年近く経った今では少し落ち着いたが、それでも自分よりも大切な存在であることには変わりない。

 この子の為なら死んでもいい。けれども絶対死にたくない。

 そんな相反する感情が同居するようになった。この子が死に瀕するような事が起きてしまったら、私は死んでしまうだろう。私が死んで子どもが助かるようなことになったら、私は喜んでこの命を差し出すだろう。だが、それと同時に生きてこの子の成長を見守り続けたい。この子が生きる未来をより良いものにしてあげたい。昔は抱かなかった強い欲求が、むくむくと膨れ上がっていくのだ。

 しかし、いくつか気を付けている事がある。

 いくら自分から生み出した子供といえど、異なる人間であるということ。今は私の保護下で日々暮らし成長しているが、いつかは巣立つこと。私の所有物ではないということ。

 私のこの命をかけられるほどの想いが、子ども本人にとって重しにならないように気を付けている。他人の思いに振り回される人生は、不自由で不健全だからだ。

 

 誰か一人に自分の人生を委ねることはとても危険だ。委ねる人にとっても、委ねられる人にとっても。

 だからといって他人の影響が全くない人生もまた不健全である。人は自分一人で生きることはできないのだ。自給自足の生活をするにも他者との関わりなしで生きることは不可能だからだ。ならばどうすれば良いか。 

 

 沢山のものに依存を分散させれば良い。

 

 自分が寄りかかれる場所をたくさん用意しておく。家族、友人、学校、コミュニティ、仕事、趣味、習い事、ストレス発散方法、リラックスできる場所…。

 とにかく自分らしく過ごせる場所や時間をたくさん用意しておくことだ。学校の教室が息苦しいのであれば、保健室、家、地元の図書館、習い事、親戚の家、SNS、趣味、といったように。

 ポイントは、とにかくたくさん用意しておくこと。依存先をたくさん作って分散させること。

 子どもは親の保護下に置かれて逃げ場が少なくなりがちである。コロナ禍では特に子どもたちはその世界を狭くさせられ、窮屈に押し込められてしまった。その結果が、小中高生の自殺者数過去最高に繋がってしまったのではないかと私は思う。

 死という取り返しのつかない結果を選択しない為に、世界を広くしておく事。自分らしく過ごせる世界を見つけておく事。その一つが失われても別の居場所があるという安心感。これこそが命を前向きにつなぐ、大切なことなのではないだろうか。