体験に勝る経験はない。では体験できないものはどうするか。

 私には息子が二人いる。

 二人とも保育園に通う未就学児だ。

 長男は5歳にして既にきっちりしている。離乳食の頃から食べこぼすことなく綺麗に食べるし、食器を机に叩きつけることもなく、スプーン投げ捨てることもなかった。意味もなく奇声をあげることもなかったし、突然パッと道路の真ん中に向かって走り出すこともない。高いところや危ないところはないかとよく周りを見て、そーっと動く。

 安全管理という意味では本当に手のかからない子で、子育ての苦労話を多方面から聞いていた私にはとても拍子抜けするような気楽さだった。ただ、初めての育児という事で経験のしたことのない日々は精神的にも体力的にも気が抜けない日々で、ストレスからイライラはなかなか消えなかった。

 

 かたや次男、2歳。

 食事への興味はありガツガツ食べるものの、食べこぼす、スプーンを叩きつける、スプーン投げ捨て素手で鷲掴みして豪快に食べる。歩道を歩いていて突然車道に飛びだす、ノールックで横に走り出し危うく自転車に轢かれそうになる。抱っこして欲しいのにもらえないとわかると逆方向に走り出す。どんな高さのところでも気にせずジャンプで飛び降りようとする。長男とは全く違う安全管理の注意を求められる。私は次男を育てていて、子育てでよく聞くヒヤリハットをいくつも経験させてもらった。

 しかし2回目の育児ということもあり、私も配偶者も長男の時の育児経験からストレスを感じてイライラする場面はかなり減った。

 

 事前にいくら本を読んで、他人から話を聞いていても、いざ自分が体験しないと実感できないことというのは色々ある。想像の倍は軽く超えるほど、大変なのだ。しかし、もし前情報がなかったら私は更にストレスに晒されていただろう。

 

 先日、出かけた先に地震体験車が来ていた。東日本大震災の時期にあわせての啓蒙活動であろう。体験車に乗っている人は乗馬マシーンのようにゆらゆら揺らされ、立ってられないほどの揺れを体験する。側から見たら、ちょっとしたアトラクションのように楽しそうにも見えた。しかし実際乗って揺れを体験すると、これが本当に立っていられない。あくまで体験車なので、安全のための掴まるバーが設置されていたが、もしこれが本当の地震だったらどこもかしこも危険に晒されるのだ。本物の地震だったら本棚や食器、高いところに設置した時計なども落下してくる危険性がある。そんな頭ではわかっているような簡単なことも、揺れを体験しないとその危険性を実感できない。

 

 人間は想定していた危機に直面するよりも、想定外の危機に瀕する方がストレスを大きく感じやすい。ストレスを緩和する為にも、危険を回避する為にも他人の経験を知り、自分ごとにすることは重要な手掛かりになる。

 他人が経験した出来事を見聞きした際、いかに自分に当てはまられるか。もちろん体験に勝る実感を得る方法はないが、近づける為にはどうすれば良いか。

 

 ポイントは想像力。他人の経験と自分の経験のすり合わせ。自分の経験外の出来事に対して、あらゆる場面を想像してそれぞれの対処を考える。自分の都合を一切無視して動く物への想定。将棋やチェスの相手の動きを先読みするように、日常での危機を先読みして対処法を考慮しておくこと。

 かつて堀江貴文氏がよく口にして平成17年の流行語となった「想定の範囲内です」これこそがストレスへの緩衝材となり、冷静に判断するための前準備になる。

 その想定の精度をより上げるためには、あらゆることを体験して自分の経験にすること。体験できないことは経験者の声を聞き、客観的事実を調べて知り、自分がその渦中にいた際の想定を繰り返す。選択肢をいくつも自分の中に用意しておくこと

 

 ストレスを受けても衝撃を和らげる為の対処を日々積み重ねていくことが、より心地よい日々を過ごす下拵えになる。