あれから12年

 12年前、私は東京で一人暮らしをしていた。1人でいる時に、あの揺れがやってきた。

 テレビから見える津波はまるで別世界の出来事のように見え、映像からも恐らく津波から逃れられないであろう速度で歩く老人の姿を見て、まるで映画だとどこか現実味のない感情を抱いた。

 

 未曾有の大震災。

 

 まさに、そんな天災だった。しかし東京のインフラは、懸命に働いてくださる人のおかげで電気もガスも水道も電車もその日のうちには復旧した。有難いことだった。

 北関東にある実家は1週間、電気もガスも水も止まったらしい。テレビもつかず、どこが震源だったのか、どんな被害状況なのかさっぱりわからなかった実家の母は、近所の人たちと集まり不安を支え合った。幸いにも繋がった私との電話で、テレビ中継の内容を共有しあい、サバイバル生活を乗り切ったと言っていた。海からは程遠い内陸で、家の崩壊もなかったからできたことだ。有難いことに。

 姉はその日たまたま出張で九州にいて、揺れを全く感じなかった。しかしニュースを見て、帰りの飛行機の便が飛ばないと知りすぐに宿の手配をした。正規のビジネスホテルでは直ぐに埋まってしまうだろうと判断し、繁華街にあるいわゆる休憩や宿泊ができるホテルに一人で部屋を取り、一晩寒空で過ごすことはなかった。

 

 人間、生きるか死ぬかは本当に些細なことで分かれられる。

 その日その時どこにいるのか何をしていたかで、ある日突然、生死の道を決することがある。

 

 運良く生きながらえた私たちに、出来ることは何だろうか。

今一年、今一日、今一時を大切に過ごすこと。

日常は当たり前ではないということ。

未来に繋げていくということ。

それを忘れてはならないこと。

 

 余談だが、当時九州にいた姉は当時は独身だったが、今は結婚して娘がいる。私にとっては姪にあたる。もちろん姪はこの震災を知らない。

 彼女にとっての東日本大震災のように

 私にとっての阪神淡路大震災のように

 母の世代にとっての東京大空襲のように

 悲惨な災害は、実際に体験した人でないと記憶からどんどん薄れていってしまう。語り継がれなくなってしまう厄災は、危機感をなくし、悲痛な被害を再生産してしまう。

 

 記憶から薄れさせないために何ができるか。

昨年の11月に公開され、先月ベルリン国際映画祭にノミネートされた新海誠監督作品の「すずめの戸締り」という作品は、そんな監督の思いから作られた、アニメーション映画だと聞く。

 まだまだ劇場で公開されているらしいので、私も久しぶりに足を運ぼうと思う。

 

#東日本大震災