痛みを乗り越えた人は美しい、だが。

 辛いこと、悲しいこと、障害や苦難を乗り越えた人は美しい。

 乗り越えるために実行したことや、思考したことは人生の糧となり幅となり人間としての器を大きくしてくれる。それは余裕を産み、ゆとりをつくる。もしあなたが今その渦中にいるのであれば、乗り越える為の創意工夫をすることでより豊かな人生が開けるかもしれない。

 

 しかし、これはあくまで乗り越えられた人の話だ。

 

 乗り越えられなかった人は、今もその渦中に囚われて苦しみを与え続けられているかもしれない。もはや創意工夫する気力も奪われて、ただ耐えることしかできなくなっているかもしれない。

 苦労は買ってでもせよ、という故事がある。しかしこれは生存バイアスだと私は思う。

 確かに苦労をたくさんして乗り越えてきた人はそれだけ多くの経験や知識、技術を持っている。過ぎたことなので、振り返ってみれば良い経験だったと笑えるだろう。

 

 だが、乗り越えられなかった者は?

 

 乗り越えられなかった者は努力不足なのか?根性が足りないのか?そんな精神論は犬にでも食わせておけば良い。

 ただ単に、出会うタイミングが早過ぎただけなのだ。レベル1の時にラスボスに出会って負けてしまった時、それは努力と根性が足りないからだ、と言う人間はいないだろう。この場合生き延びる方法は逃げる一択だろう。

 適正レベル、もしくは少し上のレベルの敵と対峙し、少しずつ経験値を積んでいくことが大切なのだ。しかし現実は敵のレベルは愚か、自分のレベルも数値化されていないので、この適正レベルを見誤ることも多いだろう。

 自分のレベルよりも低レベルな事しか取り組まなければ成長はあまりない。なので適正レベルもしくは少し上のレベルかどうかを判断する基準を自分の中で設けると良い。

 

〈例〉

・今までやった事がある方法で対処できることか?

・今までやった事がある方法で対処できない場合、友人や家族、同僚や先輩上司もしくは専門家に相談はできるか?

・相談した事によって、もしくは自分で解決方法を思案して別の方法は見つかったか?

・その方法を試してみたか?

・どれくらいの期間又は回数試してみたか?

・一定期間試してみて変化はあったか?

・さらに別の方法を試すか、それとも撤退するかを検討する

 

 一部の人では逃げる事を悪だと批判することもあるが、三十六計逃げるに如かず。孫子ですらこう言うのだから、逃げることは悪でもなんでもない。戦略的撤退は重要だ。

 

 苦しい、辛い、悲しい。あなたが今そんな環境にいるのであれば、時には逃げる事が最善の一手となりうる事を忘れてはならない