非効率を楽しむ

 効率よく○○をする。

 

 多くの人が求めることだろう。私も若い頃はよく母親に「効率よく勉強しなさい」「効率よくこなせ」と繰り返し繰り返し言われたものだ。特に若い世代は効率やコスパを重視する価値観は強く、例えば動画再生する際に倍速送りで時短をするんだとか。

 

 しかし、私の中で最近なんでもかんでも効率を求めることに疑問を抱き始めた。

 

 子育てをしていると、子どもに関わる予定やスケジュールはとにかく予定通りなんていかない。一番早く終わらせるなら親が全てやってしまえばいい。しかし、それではその子の成長する機会を奪うことになる。

 

 そもそも効率を上げることの最短経路は失敗をなくすことだ。しかしその失敗には、誤った方法を選んだ際気づけるかや軌道修正の方法の機会だとか、手段の思案だとか成長の機会が多分に含まれている。子どもの成長過程には効率を求めることがむしろ際悪手なのではないかとさえ思う。

 

 また、余韻を楽しむ、という娯楽がある。映画だったり音楽だったり、意図的に空白を設けている演出がある。適切な間は空気を作る。余韻を与える。文章に置いての間は読みやすさを提供する。画面のスクロール数だったり、紙面における文章密度を優先したら余白はなくなるが、余白という非効率をあえて入れることで遊びが生まれる。

 

 日常においても、あえて何も考えない余白の時間が、実は人生において有益な時間になるかもしれない。