変わらない為に、変わっていく。

 「変わらない」は不可能に近い。

 私たちは日々変わり映えのしない毎日を送っている。毎日がドラマのように劇的な事件にあうわけでもないし、ルーティンのように家事や仕事、学校生活を送る人がほとんどだと思う。

 

 しかし、それでも、全く同じ日というものは存在しない。

 

 自分自身は変わっていないと思っていても、体は日々成長・老化しているし、他人と積み重ねた時間だけ関係性は少しずつ変わっていく。自分が変わらないとしても、取り巻く環境は刻一刻と変化している。

 学生時代は特にそれを意識しやすかったと思う。自分の意志とは関係なく進級、卒業、受験、入学とベルトコンベアー式にイベントが待ち構えている。そのイベントが発生するたびに環境は変わり、日々それに対応すべく奮闘する。そして自分の思う現状を維持するために、その環境に対峙し、対応していく。学生時代は環境が勝手にどんどん変わっていくので、現状維持できることに快感を得るのかもしれない。

 しかし、社会人になって強制的な環境の変化はあまり起きない。学生の頃ほど毎年のように環境は変わらないし、人の入れ替わりも多くない。大きな環境変化がない分、自分もあまり変わっていないような錯覚に陥る。

 しかし、最初にも述べた通り、変わっていないと思っていても体は日々変化し、人間関係も日々変化し、取り巻く環境は刻一刻と変化しているのだ。見えづらいだけで。そして5年、10年、十数年と経過したときに、社会人としての環境は大きく変わっている。

 

 今まで徹夜でも頑張れていたことが頑張れなくなった。

 会社の上司から「いつまでも新人のつもりでいるな」と怒られた。

 学友が結婚していた、子どもを産んでいた。

 元気だった親が介護が必要になってしまった。

 

 若いうちは特に、健康な自分の身体がいつまでも続くことを信じて疑わないし、仲のいい友達とはいつでも気軽に夜飲みに行ったり旅行に出かけたりできると思うだろう。自分が変わらなければ、周りも変わらないと思うかもしれない。

 

 しかし、本当の意味での現状を維持するためには、変わりゆく身体や環境に応じて自分自身も変化していかなければならない。

 

 人は変わらずにはいられない。自分自身が頑なに変わらなければ、環境の変化についていけなくなり、やがて取り残されてしまう。

 変わらずにいたいのであれば、時間の経過や環境の変化にあわせて変わっていかなければならない。