これから求められる人物像

 子どもを育てていて、よく考えることがある。

 

 それは教育。

 

 自分たちが受けてきた教育と、これからの世界を生きる子供たちが同じ教育でやっていけるわけがない、と漠然と理解はしている。だが、どういった教育が良いのか、という答えは私の中にはまだない。

 先日Web聴講した国際教育博の中で、講演していた日野田直彦氏の話が妙に気になり、そして同じディスカッションの中でスピーカーをしていた方のおススメの本を読んでみた。

 

 

 この本は、当時大阪府箕面高校で日野田直彦先生が校長を務めていた時に、海外トップ大学に進学した著者の女子高生、山本つぼみさんのお話。地方公立高校出身、留学経験なし、苦手科目は英語。といういわゆる海外大学に進学するような華々しい経歴はなくともどうやって合格をつかんだかと、その後進学して1年、2年と大学生活でどんなことを学んでいるかを紹介している。また、山本さんだけでなく、恩師として高校在学当時に指導にあたった校長の日野田直彦先生とSET(Super English Teacher)の髙木草太先生の指導する側からのお話も載っている。

 

 読み終えて思ったこと。

 ああ、これは私の学生時代の頃ではとてもじゃないが対応できない。

 

 まず、学力以前の問題として、マインドが非常に大切だ。

 分からなかったら、どこが分からないと発信してコミュニケーションを取ること。分からないことは恥ずかしいことではない。完璧なものを見せようとする必要はなく、自分の意見や思考をアウトプットし、他者との対話を通して自己理解を深めていくこと。どんなアドバイスでも一度は素直に受け止め、根気よく粘り強く取り組むメンタル。ディベートは論争ではなく相互理解の促進であり、今自分の中にある常識に囚われず多方面から事実を見ること。

 今の日本の教育の現場で行われている一斉授業が上手くいくための理想の生徒像では、とてもではないが対応できない。回答の正確性ではなく、その思考プロセスを重視する教育。非常に大きなマンパワーが必要だ。宿題の答え合わせではなく、その問の解答を導きだすための論理を確認し、たとえ間違いであっても自分の意見を発信したことへの敬意を持つこと。ぱっと簡単に丸つけをするのとではかけなければならない労力が段違いだ。

 そしてもちろん英語力。具体的には語彙力、理解力、話し続ける度胸。無言はコミュニケーションにおいて最悪の表現方法であり、考えていたとしていたらそれを表す何かしらの言葉を発し続ける。

 今世界のトップ大学で、世界をけん引するエリートやリーダーを育成するためにはこのような教育が行われていると一例を知ることができ、知見を広げることができた。

 

 この本を読むまで、私は海外大学はあくまで英語で勉学を学ぶだけの場だと勘違いをしていた。海外大学という場は、ひたすら自分と向き合い、他者と世界の情勢と向き合う場なのだ。

 私自身の大学生活を振り返る。国家試験という一つのゴールがあるため決められたカリキュラムをこなす教授と生徒たち。空き時間で勉強をするのも、サークル活動に精を出すのも、アルバイトで経済的に自立するのも自分次第だった。もちろん、他学部に比べて勉強の比重は大きかったが、それでも学生期間のモラトリアムを楽しみ、できる限り遊びに熱中をした。もちろんこれが全くの悪かといえばそうではないと思う。だが、人生で一番自由が利く学生時代に、こんなにも思考を深めている人たちがいたのか、という別世界を知ってしまった衝撃だ。

 

 私は自分の子どもたちを、海外の大学に絶対進学させたい!とは思っていない。海外の大学に進学したからと言ってそのまま海外で就職し拠点を構えられるほど楽ではないと知っているからだ。

 しかし、これからの社会のリーダーに求められる人物像として、自分の人生の大いなる目的を見つめるこの海外大学の教育というのは非常に興味がそそられた。

 

 人は時に手段と目的を間違える時がある。生きているために働くのか、働くために生きているのか。自分が本当に幸せを感じられること、それを見つけ、手放さない為に、教育というのは非常な役割を担うのかもしれない。